><https://twitter.com/orange_in_spacehttps://pawoo.net/@orange_in_space
20年近く前?に2chでアポロ計画懐疑論者を相手に議論してたのすごく楽しかった><
2025年最初に着手した本『エビデンスを嫌う人たち』が面白くて一気読みした - Togetter [トゥギャッター] https://togetter.com/li/2489539
アダルト動画サイト「Pornhub」が南部諸州からのアクセスをほぼブロックする状態に - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20250102-pornhub-block-almost-us-south/
TerraTech、やっと回路が作れる勢力(?)のライセンスが解放された><(けど回路部品は、まだ作れないっぽい><;)
他人、特に不特定多数にはそんなに興味ないんで……
(食事の例をみても氏の体験をみても) 「人は相対化がべつに好きではないし自分のことを分解して知りたいとも思っていない」とかで説明できそうなので、まあそういうことなんじゃないですか。しらんけど。
でも、わりと世の中、文化圏比較しまくる事が大不評っぽい雰囲気っぽさ><;
それなら理解できます
一貫性については、べつに判断者当人が慣習に従うこと自体の一貫性を論じているのではなく、自分と異なる慣習の他人を見たときに「そうなる理由や経緯があってそうなったのだろう」という自然な受容を自分と他人の両方に持つか、あるいは「私が抱いた違和感の原因と同じものを私の慣習も抱えているかもしれない」と自分と他人の両方に疑義を抱えるか、そういう対称性がないことを指して一貫しないと表現しました
ごめんなさい。なんか誤解があるかもしれんけど、文化的背景や規範に従わないそことが異常とか、そういうことじゃなくて…
ある文化的規範にぞくしているひとが、その規範に即した行動様式をとっといることは、たとえその規範自体に、たとえば「飽きる」「飽きない」という一貫性がないとしても、規範に従う行動をとっているということは一貫性がないとは言えないのではないかということです。
状況がそれぞれであるということを受け入れるのにそれぞれを体験なり没入なりしてみないといけないというのは若干極端な気がするけど。何らかの体験や文化のデザインをやりたいのならともかく。
世界にいろいろな考え方の人がいて食に関してもそれぞれある状況を理解するのに、実際色々どうにか作ってみて食べてみるオレンジみたいな発想の人が「食文化の多様性!><」って言うのはわかるけど、「同じものしか食べない。それも多様性の一つ」と言われたらある意味それはそうかもしれないけど、他の食文化を追わずにそれを言うこと自体も視点を変えて考えると、微妙に矛盾してない?><って気がしなくもない><
部分的boostになっちゃってあれだけど、考え方色々でそれぞれだけど(?)、なんでオレンジが海外(とくにアメリカ)と比較しまくってるの、なんでわりと不評っぽいんだろう?><
一貫性がない、といってしまうとこに違和があのかもしれない
支配的な文化の慣習に従うこと自体にも、従わないことと同様に説明がほしいと思っている (あるいは同程度に説明なんかいらないと思っている) のだが、そういう面倒くさい考え方をするやつは勝手に淘汰されていくから特に問題ないんですね〜
テンプレートとしての行動様式があって、それに即していれば「普通」、則していなければ「意外」となると思うので、個々の行動について飽きる飽きないというという一軸で一貫性がの有無を言ってしまうのは乱暴ではないかとやはり思うんですがどうなんでしょう
ちなみに「そういう栄養源に由来する共絶滅的なリスク事例って人類の文化圏単位でもあるかも?><」ってChatGPTさんに聞いてみたら、オレンジの意図通りに「有名な事例にジャガイモ飢饉があるよ!」(意訳)って返事来た><
一般的な行動様式からの逸脱という観点で違和感が生じると思うので、あらゆる個人的決定を一方は「飽きる」一方は「飽きない」というのは、一貫性のなさとは少し違うのではないかというのが大本の主張です
べつに生物や文化のリスクを懸念するのは妥当かもしれないけど、それは個人の習慣の一部には驚いて一部には驚かない一貫性のなさの指摘とはまったく別の話なので……
むしろ誤った悪い事例ではあるけど近い事例(?)が、宗教保守な人が同性愛者に対して「そういう人が増えると人類が滅びるじゃん?」かも?><実際には、調査してみたらむしろ生存性(?)が高まるっぽいみたいな研究結果がちらほら出たりしてるので、その直感は誤りであろうみたいな感じになってきてるけど><
思考の /dev/null