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情報の総量と検証する人の数の比率で検証者の数が負けるととんでもない事になる説で考えると、SNSの時代になってしまったので、オレンジみたいななんでもかんでも調べまくるのが趣味みたいな人が大量に必要なのかも><
なぜかオレンジ以外にそういう人見た事ないけど><;

この日の議論おもしろい><

2023年6月5日 - @[email protected]の投稿 - notestock
notestock.osa-p.net/@orange_in

オレンジは、既存のメディアを信じろなんて事は全然言ってなくて検証しろって言ってる><

そういった側面、(ネットユーザーもどちらかというと猟友会同情側が優勢であろう)北海道の猟友会クマ駆除要請拒否問題を結び付けて考えるとおもしろそう><
考えようによっては、パワハラ問題でいうところの県民側が、猟友会問題でいう所の公安委員会側になるわけじゃん?><

orange さんがブースト

パワハラを受けても黙って耐えていろ、と、実質的に住民から宣告されたも同然という状況が、当該自治体の職員にどのような影響を与えるのかが気になっている。また、一部の住民による自治体職員に対する、いわゆる「カスタマーハラスメント」的な行為に対する心理的ブレーキが外れないか、ということも心配(杞憂なら良いのだけど)。また、自治体としての職員を守る仕組みは、今後機能するのだろうか(既に一度機能しなかったわけで)。

自治体職員の人権が守られない状況となったとき、その自治体は、住民の人権を守る機能を維持できるだろうか、という問題でもあるかと。
(今どれだけ機能しているのかどうかは、不明にして分からないのだけれど、さすがにまったく何も機能していない、ということはないのではないかと……)

今回でいうと、
mstdn.nere9.help/@orange_in_sp
の何らかの集団に相当するのが「オールドメディアは噓つきだ」という言葉だけで踊る層が参加率が十分高く、" より票田として重視され" るわけじゃん?><;
「とにかく選挙に行け」って言っていい事あった?><;

orange さんがブースト

オレンジは(ちゃんと理由があって)安易には「選挙に行こう」とは言わない派だけど、
何らかの集団(例えば世代)の選挙への参加率(?)は、高ければより票田として重視されて、低ければ逆に軽視されることだけはその通りなので、
本当に適切にランダム(結果的にランダムに投票する層がまるごと居ても居なくても各候補者の得票率が変わらないようなランダム)であれば、少なくとも理屈の上では単純にその集団の声がよく届く効果のみ発揮する事ができそう><

ドレイクの方程式みたいな感じで、情報の量やら検証者の数やらいろいろパラメータを並べて式にするのって出来ないのかな?><(超意訳)ってGPT-4oさんに聞いたけど、
「誤情報の魅力とかを数値に落とし込むのはとても困難だろうから難しいんじゃね?」的な感じで「前向きに考えるのであれば、もしかしたら感染症モデル(SIRモデル)とネットワーク理論を組み合わせたら可能性はありそう」的な回答が><
そういう回答が来るという事は、既存のものは無さそう・・・><

オレンジがドアの近くで突っ立ってたからドアに鍵がかかってると思われて人だかりになっちゃった現象と、ひとつの噂が銀行や信金の取り付け騒ぎにまで至る現象、両方とも情報カスケード?><;

Informational Cascadesっていうっぽい><; 

学校でドアの近くで立ったままオレンジ休憩する><
 ↓
なんか知らないけど次に来た人が、(後から考えると)どうやらドアにカギがかかってると思ったようで、オレンジからちょっと離れた場所で立ったまま休憩(?)
 ↓
3番目に来た人も同様に、4番目に来た人も・・・
 ↓
5分経たずに10人以上の人だかりに><;
 ↓
先生が来て「何の騒ぎ? なんで教室に入らないの?」
 ↓
オレンジはその集団とは別のクラスなので知らんぷりして立ち去る><;

で、おすすめされた1992年の論文、なんか違う気がするけどこれはこれで偶然にも(?)オレンジの別の疑問に対応してるかも><;(脱線><;)

(PDF) A Theory of Fads, Fashion, Custom, and Cultural Change as Informational Cascades
researchgate.net/publication/2

で、「(オレンジが思いついたような事)に近い既存の理論はありますか?><」ってChat GPTさんに聞くと、近そうな内容の論文をいくつかおすすめしてくれる><
おもしろい時代><

TODO Group : オープンソースが企業にとって重要である理由 - The Linux Foundation
linuxfoundation.jp/blog/2020/0

"...オープンソースの開発者やアドボケイトがよく使うフレーズに「Given enough eyeballs, all bugs are shallow (目玉の数が十分にあれば、どんなバグも深刻ではない)」というものがあります。..."

ソフトウェアじゃないけど、これでいうバグ入りも含めたソースコードが大量に発生したので結果的に目玉の数が全く足りなくなったみたいな状況が、現在の報道やら報道のようなものやらSNSやら色々混ざったメディアの状況なのかも><

情報源のうち、多くの目にさらされないメディアの比率が高くなれば、結果的に将来も検証されないままになる情報の比率も高くなるわけで、
そう考えると、個別のテレビ番組がめちゃくちゃだろうがなんだろうが、それは結果的に(『検証された』では無くて)『検証される事になる可能性が高い』情報源でもあるわけだから、その比率が下がってしまうという面で考えるのなら、
やはり今は「テレビを見ない方がむしろ馬鹿になる」時代なのでは?><

テレビを嫌ってる人でもわかると思うけど、例えばテレビ番組がなんか変な間違いを放送するじゃん?>< そしたら大量の検証の目にさらされて、どの部分がどうおかしいって集合知による訂正が大量に入るじゃん?><
新聞だって、ほんとに誰も見てないような記事じゃなければめちゃくちゃな事が書かれてたら気づかれて同様に検証されまくってツッコミされまくるし、逆に言うとそれすらされないような記事はそもそも影響力がない><

SNSやオンラインのメディアの大量の記事に対してそういう事起こる?><
テレビ番組なり新聞記事なりの誤りと同じようにツッコミが入るのはごく一部では?><

つまり、テレビの時代(比喩)であれば、検証しない馬鹿が世の中に大量にいても、情報が少ない故にその馬鹿に届く少量の情報は、他の誰かに検証されたり検証済だったりしたけど、
SNSの時代(比喩)になって、情報の量が検証する人々の量より圧倒的に増えた結果、検証しない馬鹿どもに届く情報も検証されないままの情報ばかりになった><
つまり、情報の質の問題というよりも、情報の量の問題であり、「オールドメディアだって間違うことがある!」とかいう主張は全く何の意味もない><
検証が追いつくかどうかこそが重要なのかも><

おそらく昔から馬鹿の数は大して変わってないであろうけど、メディアが限られていた時には、馬鹿をだまして多数派を取ろうとしても、検証がある程度間に合うので、誤りが含まれていれば指摘が追いついた><
でも、現在はそれが追い付かず何も検証されないままのメディアが大量にあふれて、
で、わりと思ってた以上に検証しない馬鹿どもが多かったので、大量に情報を溢れさせる作戦が圧倒的に有利になっちゃったのかも><

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