「どうしても必要になる知識体系について、その ”山” を超えられない人どうすんねん」というのは深刻な問いだと思うけど、山を超えない状態で災厄化されるというのも互いに本意ではないと思うんですよ。すべての体系が「やってみて損はない、途中でやめればいい」で済むようなものではないのでは。
あと見ず知らずの人にインターネッツの通り過がりマンがそこまでのコスト割くと思います? という……
もちろん forum とか wiki とかのような知識共有の場はあるし負担になりすぎない範囲で還元したいとは思っているけど、限度ってもんがある
べつに個人の問題なんだから誤謬を信じ込んだっていいじゃんという話もあるかもしれないが、その末路というのは「自称永久機関発明家」とか「対角線論法は嘘だとあちこちで言いふらす人」とか「民間療法を固く信じ込んで子供を (意図せず) 虐待する人」みたいなものだったりするわけで、さすがにおすすめできかねる。
正しい知識と理解をもって「かつてこういう誤りが信じられていた」という事実と向き合うのと、先達の二の轍を踏んで誤謬を信じ込んだ後でそこからやっとこさ脱出するのとでは、効率に天と地の差があるだろうし、まずそもそも後者は脱出できない率が高すぎてリスクが釣り合わない。
脱出できない率が高すぎるからこそ人々が信じ込むことになったというわけで。
歴史積んでる分野ってのは多かれ少なかれ、かつて広く共有された誤謬とか非直観的な事実みたいなものがあるわけで、そういう落とし穴に独学でうっかりハマると陰謀論とかトンデモ信仰とかそっち系に進んでしまうのでさあ大変