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機長も「サングラスつけない方がいいって言っちゃったのにサングラスつけたら変かもって思ったので、眩しいけどつけなかった」ってなったって話っぽい><
当時のオレンジのtwitterのログによると、
"機長(教官)「アウトドアなんかでは目を保護するためにサングラスするよね。でも、私はサングラスは巡航中にしか使用しないんだ。着陸進入時には使用しない」 副操縦士「わたしもそうします」"機長「767に乗務してた時にサングラスしてたら"(奥行きがわかりにくくて)"引き起こしが難しかったからそれっきり使ってないんだ。..."
"→事故後 機長・副操縦士「目が眩んだ」 サングラスは? 副操縦士「だって機長がダメって言ったし」"って事らしい><
訓練の有無をさておいても、これが誰にでもできるかというとかなり厳しいのではと
CRM はそもそも「パイロットとして適格であると認められた人」という強烈な選別が入っていて、それでもなお……という面は考慮すべきだと思う
サングラスつけないと眩しくて見えないのに心理的安全性の問題で着けなかった話だったのに、逆の話(外さないと暗い)と記憶違いしてたので訂正しました><;
そういうの、毎度お馴染み旅客機のコクピットの会話テクニックで重要視されまくってて、パイロットの訓練で徹底的に磨かれるっぽい><じゃないと「(なんかおかしい気がするけど、的外れだったら嫌だから機長に言うのはやめよう・・・)」になっちゃう><サンフランシスコのアシアナ事故では、心理的安全性が低くて「(サングラスしてないと眩しくて見えないな・・・でも、さっきサングラスつけるべきではないって話してたし)」で、事故った><
間違えた!><;
意見が異なってもちゃんと議論出来るのが心理的安全性で、「意見が異なるから去ろう」もそれが無いし、「どうおかしいのか徹底的にdisってやんよ!><# 」「おう! 望むところだぜ!」も、(当人たち以外には)それがない><;
それが健全にできるのが心理的安全性や!みたいな話も見かけた気もするが…
うん><;
それが人を選ぶねん…
IT業界のマサカリ投げ合い仲良く喧嘩コミュニティって、ある意味オレンジみたいな感じのあれで・・・あれじゃん?><(?)リーナス(やタネンバウム先生)やRMSやら、CとPascalのdisりあいとか、UNIX vs UNIXヘイターの戦いからのGUIのPCへの普及の流れとか><;
で、でも、「オレンジだったらこうするのに><# 」からの「こっちの方が優れてるって証明してやる!><# 」で、大量に資料を読みまくってお勉強に繋がってるので、指示厨的な性質が知識の源みたいな側面も><;
で、「前に調べたぞ!><# それはこの論文によるとこうじゃん!><# 」ってスパイラルに・・・・><;
ていうか、「アメリカではこうしてるのに!><」「ほら、だから言ったじゃん!><」とか、さっきの「大和高田市の都市計画おかしい!><;」も、ある意味指示厨的かも><;
オレンジはわりとそういう傾向があるので反省しないといけない><;
自他の境界が曖昧だと、「俺ならこうするのに」が「なぜお前はこうしないんだ」というフラストレーションになって振舞が悪化する。指示厨ってやつの醜さの一端ですね
まあこれは私が陰の者だからそう思うだけで、陽の者はむしろ親身になって半身として考えてくれる存在を求めているのかもしれんが。それはもう私の知らない世界の話ね
自他の境界がはっきりしている人への相談は気楽だし、思春期初心者の若人たちの自他の境界がはっきりしていないとしてもまあまあ理解できる話なので、そういうものだろうなという感じがする
ネットリてのは……なんというか……「自他境界が明確であると思えない」とでも言語化すればいいだろうか?ドライでなくウェットというか、我が身のことと同一視しすぎて移入しすぎるというか。
これは場合によっては「親には言いたくない」という形で発動することもあるメカニズムで、相手の性質次第では親しさはむしろ躊躇を強める方向にもなる
思考の /dev/null