「モノ」を買うというとき、モノだけを手に入れつつ体験は所有者個々人が新発見できるものだけど。
だったら「体験」を買うというときも、買った「体験」以外の様々な体験外オマケ要素が付随・新発見できないと釣り合わなくない?と
「モノを買っているようで体験を買っている」にはそういう “穴” があると思っていて。
「モノ」を買うというのが特定のモノだけを買うことを意味しているのなら、「体験」を買うというのも買った「体験」だけを買うことを示していないと言葉が対称になってないよね。
対称な言葉を使わないと対比にはできない
「モノはつまるところ体験であるから体験に金を出している」という世界観は、結局のところ「“モノ” (そのもの) ではなく体験を偏重している」という点でこの文章が揶揄する対象に当て嵌まっているのではと思う。
“体験” に金を出すことがモノに金を出すことに比べて特別に優れているというわけではないし、体験とモノに線引きしたうえで体験を偏重していることに無自覚なんじゃないか、ということを語っている