実際問題として自ら学ぼうとしない人々を我々は救済できないし救済の義務や責任を負わされたくもないが、かといって学ぼうとしない人間に育ってしまったことの責任や結果伴う苦痛の原因をすべて本人に押し付けるというのは私にとって “正しい” 考えだとは思えない、ということ。社会に完全に適合していてこれをあっさり受け入れている人も多数いるのだろうけど。
私が言いたいのは、「自由意思が存在する (もっといえば、現代における多くの意思決定は自由意思に基いている)」というイデオロギーは社会の前提にあるからこそ我々は特定の怠惰や不適合を本人の責として解決したり自分が責任から解放されることができるけど、それはあくまで社会の都合であって、倫理的道徳的にその態度を貫くことが正しいかは疑わしい、という話です
そういう性質やそれをマズいと思わない理性が生育環境に由来するなら、それらを本人の責とするのはどうなんだという話もあり、一方で自由意思の存在を暗に認めるタイプの社会であるためには誰かが責任を負わないといけない