クルマネタでこれ突然思い出した><
新世紀GPXサイバーフォーミュラ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%B4%80GPX%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9
そういう、なにが楽しいのかが人によってちょっとずつ違うことを意識せず、極端に言うと、そのSNSのシステムを作った人の好みのみに極端に合わせまくった制限の強いギチギチな挙動のSNSにしちゃったら作った人以外楽しくないSNSになっちゃうかも><
別の表現をするならば、「SNS とはこういうものである」という考えは多様なので、ユーザ視点でそれを語るのはほぼ無意味なんだよな。
「SNS の中でも、この実装はこういう思想で作られている」という具体的選択肢について、「私はこのような SNS を求めている」という個人的な価値観を共有した上で論じなければ得られるものがない。
べつに私は SNS をどのように用いるべきかについて信念を持っていないけど、だからこそ、サービスやプラットフォームが中核の思想として何を据えるのかというのは重要だし明確に表明されるべきだと思っている。私なりの言葉で言うとそれは「哲学」なんだけど。
分散 SNS の「哲学」が個人単位での自治の権利であるとするならば、楽しいことよりも分散できることの方を優先するソフトウェアの方が私は信頼できる。たとえ個人的な利用目的が楽しみであっても。
たとえばの話になるけど政治的弱者なんかが繋がったりするプラットフォームとしての分散 SNS もありえるわけで、そういう場合は何よりも検閲や運営による虐待を避けたいというのは優先度の高い要件になるので、 SNS が必ずしも楽しみを目的としているとは思わないなぁ