不穏><
具体的に表現の自由を制限するほどのものが何かを「差別とは言っていない」とだけ書いて(つまり否定)、どうではなくこれであると明かさないのって、むしろ話そらされてるように感じてるけど><
オレンジは、そもそもある障碍ではない事と、とある障碍に関してそうではないことを直接的に差別的言動とする事には矛盾が発生し無理があると言う点と、そして何らかの表現を根拠なしに排除することは差別であると説明して来たつもりだけど、「差別的だとは言っていない」と言うことは差別以外の、その表現を排除する根拠があるんでしょ?><
もし、攻撃の扇動を持ち出してきたら?><とも考えて、例にルワンダの話も出しておいたけど><(今からそっちに話いくともう4時なので長さ的につらい)
不穏><
その上で
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/101019343768699303
に戻って、正しい認識の上でそうではないと判断される人がジョークとして認識されると言う表現が差別であると?><
差別であるのはそれであると判断されるべきであろう判断基準に照らし合わせてそうである人が、判断基準への誤解によって揶揄される事では無いの?><
問題は基準への理解の無さなのか、それとも基準の外に居ることなのかどっちなの?><
ある基準により決められる何らかの障碍はあくまでその基準によってカテゴライズされているものであって、それ以外のものは、障碍ではあっても別の障碍だよ?><
では、例のが揶揄している対象は何?><
その障碍を持つ人?>< 違うよね?>< 問題にしているのは基準から外れている人だ><
では、その障碍となんの関係が?><
基準上既知の障碍ではない人が現に何らかの障碍を持ちそしてそれが公的にケアされるべきである場合、適合しない基準にあった事にするのではなく、そのケアされていない障碍に対し名前をつけ、そしてケアする事ではないの?><
不穏><;
力を持つものが「何が差別であるか」そして「何が差別ではないのか」をその力により独断で決めること自体、差別そのものであるし、人種差別の多くの構造がそうであり、それにより人種間での憎悪が広がり内戦やジェノサイドにまで繋がった例もあるかも><
一方で、差別の解消が、過去、事実上何らかの力を持つ事、そして多くの場合その時点では違法であったり何らかの決まりに反する物事として進行し、そしてその法律やその他の決まりの方が違法あるいは国際法や条約等に反するとされ、結果的に差別の解消に向かう流れであった事も、ある意味悲しい事に事実かも>< 例えばアメリカにおける人種差別の解消への流れの大きなきっかけのひとつはバスの座席に違法に座ることであったし、ニューヨークでの同性愛者への差別は、ゲイが警官をぶん殴ったから解消に繋がったとも言えるし、だからこそ今でも差別解消を祝うお祭りで警官と同性愛者が一緒にパレードする><
(話が脱線してまとまらなくなった><;)
一応不穏><
オレンジ的にその面はほぼ同意(だけどオレンジが言うと「オレンジは助けられるべき!><;」って言ってるかのようになって(と言うかその通りなのである意味滑稽かもだけど><;))
一方である対象のその(正しい理解の上での)特徴と(も)一致しない人がそれであると言う事の滑稽さは、ジョークとして見なされる事自体は許容されるべきではあり、その対象の事柄そのものがセンシティブであっても、それは同様かも><
なぜならばそれをも否定してしまうとそれ自体がアンタッチャブルなものになってしまい当事者をも縛ってしまうから><
これは特に最近、特に発言力を持つ主に身体の障碍を持つ方々が主張してる事でもあるかも><