そこでとにかく数を集めてやればある程度は精査ができるのではないかというのが UGC と集合知の時代のぼんやりとした信念なわけだが、これは多様/多角的な情報の蓄積を前提としており、特に速報性が求められる “ニュース” にそのまま適用できる方法論ではない
本来そこの取材・集約・フィルタを行うのがもともとの報道機関の専門領域だったはずで、ゆえに善性と能力への信頼を置いてしまうならマスコミの言うことをとりあえず信用しとけというのは至極合理的である。
問題は善性と能力への信頼が置けないというところなんだが。
一次情報へのアクセスは実際のところかなり限られがちである (特に地理的・組織的な要因から) という問題と、主観の入った一次情報はその道の批評に慣れた人によって精査されないと一般利用に供する品質にならないという問題がある
べつに「いかなる場合においても誤った情報を発信することを絶対に回避すべきである」という強い主張は読み取れないし、「少し様子見したり掘り下げれば相反する情報が出てくるかもしれないだろ」くらいの解釈はできるのでは?