これおもしろい視点><(この方、マストドンでもtwitterでもオレンジと相互フォローの方><)
Re:検閲の網羅性、公平性をどう確保すかだねぇ (#.3598188) | 英国でネット規制機関を作ることで「有害な投稿」を規制する動き | スラド https://srad.jp/comment/3598188
オレンジの考えではそもそも政治とか社会システムって、単純化すると『怒り』と表現出来るものの繋がりなんじゃないのかな?>< と思ってて、例えば政治的議題・解決すべき課題の大部分って怒りとしても表現出来るもので「反抗」でありなんらかの拒否であり、それがなければ社会システムになりえないんじゃないのかな?><って
SNSとかでの『怒り』の問題は、単にそれがお上品であるかどうかであって、もし『誤り』にまで踏み込んだ上で同時にすべての『怒り』を排除しようとすると、誤りを訂正させる怒りも排除することになり、ミクロではもちろん、マクロな範囲(例えば大きく『人類』)でも自治にならないかも><
(文字数全然足りないので続く><;)
長文のつづきの長文><;
怒りの扇動(怒りの共感)の問題も同じように言えるかも><
ルワンダ大虐殺等も踏まえた上(過去に何回も触れてる通りルワンダの話すごく好き)でそう考えるけど、
何らかの虐げられた人や人々が、その状況から逃れるために共感してもらうというのは社会運動の基本だけど、それって言い換えれば怒りを扇動し、怒りの共感を広げ多数派工作する事そのものかも><
その扇動自体を否定すると、特に社会的少数派が自身の境遇の不条理さを説明し「共感を得る」事も当然否定する事になるし、実際圧制な社会システムな国(独裁国と言ってもいいかも)でそういうのを扇動罪みたいな名前のもので取り締まるのってベタベタなパターンかも><
扇動そのものを否定する事は無理がある><
長文のつづきの長文><;
例えば、SNSの規約として「怒りを扇動してはならない」としてみるとかなり無茶な規約になるかも><
例えば飢餓の問題にも触れる事すらできなくなる><
例えば https://ja1.wfp.org/zero-hunger
"世界には、子どもたちに栄養のある食べ物を与えられない親がたくさんいます。すべての人が食べるのに十分な食料が生産されている一方で、8億1,500万人(世界人口の9人に1人)がいまだに毎晩空腹を抱えたまま眠りについています。さらに、3人に1人が何らかの栄養不良に苦しんでいるのが現状です"
「こんな状況の子どもがひとりでも居てはいけないんだ」と怒る事までも否定する事になってしまう>< こうした問題の原因、直接的な食料問題、先進国システムの犠牲になっている問題、現地の紛争の問題等に怒りをもつこと、そして何よりそれを『扇動』する事をも否定する事になってしまう><
飢餓の子どもが「私はそういう状況に陥っています」と表明する事までも否定する事になる><