長文のつづきの長文><;
つづき
自治を否定すると、なんらかの社会システムの上位にそれをさらに統制するような社会システムにしかなり得ないけど、たどっていくと『人類(人類による成果物も含む)』辺りでつきあたって結局なんらかの自治になる><
一部(統計上では大部分)の馬鹿はそれを神とか言う架空の存在による統制で補えると考えているけど、それも結局一部(統計上以下同文)の馬鹿が『神』等と思い込んでるだけで、人類による成果物でしかないし、そもそも信仰や宗教といった形態は怒りと表現出来るものの集合物でしかない><
結局のところSNSの外を見ても、90氏が指摘するような各々が倫理だと思い込んでるもの を怒りとしてやり取りしてるような形態が、人類の社会システムであり、民主主義でありアレかも><(スマホバッテリー尽きそう;;)
長文のつづきの長文><;
例えば、SNSの規約として「怒りを扇動してはならない」としてみるとかなり無茶な規約になるかも><
例えば飢餓の問題にも触れる事すらできなくなる><
例えば https://ja1.wfp.org/zero-hunger
"世界には、子どもたちに栄養のある食べ物を与えられない親がたくさんいます。すべての人が食べるのに十分な食料が生産されている一方で、8億1,500万人(世界人口の9人に1人)がいまだに毎晩空腹を抱えたまま眠りについています。さらに、3人に1人が何らかの栄養不良に苦しんでいるのが現状です"
「こんな状況の子どもがひとりでも居てはいけないんだ」と怒る事までも否定する事になってしまう>< こうした問題の原因、直接的な食料問題、先進国システムの犠牲になっている問題、現地の紛争の問題等に怒りをもつこと、そして何よりそれを『扇動』する事をも否定する事になってしまう><
飢餓の子どもが「私はそういう状況に陥っています」と表明する事までも否定する事になる><
長文のつづきの長文><;
怒りの扇動(怒りの共感)の問題も同じように言えるかも><
ルワンダ大虐殺等も踏まえた上(過去に何回も触れてる通りルワンダの話すごく好き)でそう考えるけど、
何らかの虐げられた人や人々が、その状況から逃れるために共感してもらうというのは社会運動の基本だけど、それって言い換えれば怒りを扇動し、怒りの共感を広げ多数派工作する事そのものかも><
その扇動自体を否定すると、特に社会的少数派が自身の境遇の不条理さを説明し「共感を得る」事も当然否定する事になるし、実際圧制な社会システムな国(独裁国と言ってもいいかも)でそういうのを扇動罪みたいな名前のもので取り締まるのってベタベタなパターンかも><
扇動そのものを否定する事は無理がある><