アレな人、「味が濃すぎる」と言ってる人と「少し甘味が欲しい」って言ってる人がいるところに「濃すぎるのが真実だろ!!!!!!!!なんで分からないんだ!!!!!!!!!」とか言い出したりして揉めるので、まあ、それをシステム的に管理する必要はあるんだけど
強烈なアレをがっつり詰めたら「生きにくい。普通の人が生きやすいと俺は生きにくいんだ」とか言い出しちゃったことがあって、別に自分にとって向かないトピックに挑戦しなければいいだけだと思うけど……って思ったことがある
垂直分離するっていうのもいいけど、層間の接続は必要
僕の理想は「 バ カ がなーーーんも考えずに蠢いてるだけなんだけど、なんとなく何かが達成されている」みたいなところで、それを集合知と呼ぶんだと思ってる
それはエリート主義なだけじゃなくて、ハードルが徐々に上がってく蛙鍋なんすよ
人間の愚かさを変えられないのであれば、「アホを社会から排除する」ではなく「アホを “選ばれし人々のプラットフォーム” に居づらくする」という軟着陸を狙うしかない。ここでポイントは、このプラットフォームはアホでも使わないと困るような、生活における要性の高いものにはしないこと
だってCoqで文章書けないじゃん
オレンジ的には、どうしてそういう発想に立ったのか?の情報がセットになることがその言論のの検証にとって重要で、「何でそう考えたの?><」に「なんとなく」しか答えられない意見はなんとなくよりも多くの(その説明内での)矛盾の無い説明が出来る方が、より妥当であると言えるというか『妥当な意見』ってそういうもののことを言うんだと思うかも><
電源とEthernetしか繋がってないマイク端子3つある機械なに
嘘ついちゃいけないと思うし、物事は正確に捉えないといけないと思うし、人には誠実に向き合うけど、そーは言っても言語ってなんか限界がある
SpXのフロアに置いてある機械なんもつながってない
カラスが白か黒かはイデオロギーによって決定される(普通は黒だと思うが……)
1000年後とかに人類の生存数が最大になることが最も期待される表現が最終的に最も正確とみなされるべきみたいな思いがあって、こういうのシカゴ学派とかいうんですかね
言語とか思考を完全に自由なものと考えると嘘をつかないのは当たり前で簡単に感じられるんだけど、結局のところわれわれはベジェ曲線に方眼を引いているところがあって、言語に対する信仰っていうのは遅かれ早かれ人は捨てなければならないと思ってる
アカウンタビリティみたいなの割と幻想で、何らかの権利とか直近の問題に制約される時以外に存在するの難しいという気がしてる
そういう頭がちょっととろっと溶けちゃってる人にアカウンタビリティ強制するの、システム的にバリデーション通らない文章蹴ってくみたいな感じになって、「『私を生んだのは姉だった』とか書く人は出版無理でしょ」みたいな詰みが生まれる
反ワクチンとか反原発とか社会運動系の人がよく「自分の○○で××な例があるなら挙げてみなさいよ」とか言って即列挙されてブロックして逃亡したりするけど、あれ本当に自分では後ろめたいことないと信じてて、挙げられてもそれが事実/関係のある事柄だと感じられない状態にあって、そういう人の心の動きをシステムで縛るのがどれくらい現実的なのかは僕にはよく分からない
そうか、ハッチ側が下だから顔向かって左が右舷なのか
きえた
あ、D2の舷側灯がついた
思考の /dev/null