精神障害や生活保護者に優しい都市ということだが、川崎は意外
https://x.com/sari_des1/status/1847127582036402338?t=faZ-_8cx6nPWcfwh3Or6Qg&s=09
ぜっっったい行く❗️
ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ | 森美術館 - MORI ART MUSEUM https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/bourgeois/
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【千田有紀さんのコメント】
#Yahooニュースのコメント
https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/sendayuki/comments/fe09542f-05e3-41b2-ad8c-2f252ed8f5ec
<記事にある望さんのように、当事者は共存を望んでいるのだと思う。ネットでは2019年あたりから2022年くらいまでは、当然のように活動家は「女湯の権利」を要求していた。それがLGBT法制定に伴って、突然「差別者が流したデマ」だということになった。女湯の権利を要求するような活動家が女性たちを恫喝したりしてきたため、いまは多様性をめぐって嫌悪感や怒りを表明する女性たちもいる。>
しっかし、錠剤たった数個でこんだけQOLが変わると、いつものことながら、自分で生きてるんじゃなくて、生かされてるという感覚が強くなる。
全くもって自律なんてしてないし、自己決定権なんて幻想でしなかく、実際は遠くにある雲が蜃気楼で見えてるみたいなもので、ちょっとなんかあったらあっという間に奈落の底に叩き落とされる立場にいることを痛感する。
しかも、ある日突然画期的な治療法が確立でもされない限り、この不安からは一生逃れられないわけで。
元々持ってる障害に関しては、理不尽な社会だと思いつつ折り合いつけて適応して生きてきてけど、病気は動けなくなるしメンタルもやられるし思考能力まで奪うから、自由も自己決定権も失われてしまう。
その上、辛い時ほど人からは避けられるし、社会のいろんな場所から排除されるし、ガンガン差別されるし、健常者の思い込みと決めつけに晒されて、いかにも健常者的な「価値観」を押し付けられるし、「尊厳」って一体なんなのよ、と思ってしまう。
まあ、だからこそ自律してることや、自己決定権や、決断と責任や、本来の意味での「リベラリズム」や、「正義」にこだわるんだろうけど。
ないものねだりなんだと思う。
死は不幸ではない 生は幸福ではない