星を見るのが好きです。
あと何ヶ月かわからないけど、もうしばらくで死ぬ人間が身近にいるというのは、それだけで頭のリソースを持っていかれてしまう事態で、出来る限りそういう環境にいたくないなと思う。
なんもかんも低気圧が悪い
蚊が多い話をしてどうなるのだとは思うけど、なんだかそれをしたいような気持ちにあるのは確かなことだし、簡単にでもさっさと済ませて気持ちを片付けてしまった方が良いとは思うけど、なかなか腰が上がらないのはどういうわけだ。
蚊がとても多くて、その話をしようしようと思いながら数時間経ったけど、蚊の話をする気に全然なれなくて腐っている。
低気圧のせいか、常にぼーっとしている感じだ
雲間からシリウスだけがぽつんと見える。
☁️
誘惑というか、いい感じの雰囲気が好きすぎるせいで常にそういう目に合うことを想像してしまって、目の前の事態が見えていないってことがままある。
下心を発生させる神経を切除してから人間と話したい。
今まで物語が終わっていくことに対して、情緒的なセンチメンタリズムを感じてどきどきしたりしんみりしたりしているのだと思ってたけど、良くも悪くも心に強いストレスがかかって気が滅入るっぽくて、あまりそういうの無理に好きだとか思わない方が良いような気がする。
煙草吸わないとなんか文化的な喪失感を強く感じてしまって、情けないような気持ちになる。
ビクセンフォレスタ10×42がAmazonで安くなってるけど、8×42だったら欲しかったな。10倍は結構手ブレに気を使うということがようやく理解出来た。冬場は特に。
~には生まれるのが遅すぎた。~には生まれるのが早すぎた。ちょうど~に生まれたことを喜ばしく思う。っていう言い回しが既にインターネット構文になってるっぽいですね。もっと遡ればさらに元ネタがありそうな気がする。
前に4chanだったかの転載翻訳ブログで見かけた『世界中を冒険するには生まれるのが遅すぎた。宇宙探検をするには生まれるのが早すぎた。丁度バーチャルyoutuberの時代に生まれた。サンキュー、Kami-Sama.』って言葉がめっちゃ気に入っている。
たぶん今現在生きている人間には、次から次へと視界を横切っていく流星雨を見ることは一生無いんだろうなあと思うと大変損した気持ちになる。じゃあ今現在生きている人間が後世の人間に羨まれることってなんだろうか。
集中力が欠けているので、漫画を一冊読むのに二週間くらいかかってる計算になる。
目玉はふたつしかないのに、双眼鏡ばっかり買ってどうするのとも思うけど、せっかく街まで買いに出たのに、買っただけで満足して一度も開いていない類語辞典とかに比べたら、双眼鏡はどれもそこそこ使っているので悪い買い物ではなかったなと思う。
ここ半年で5台双眼鏡を買ってしまったけど、一番使っているのは599円の10×50でした。持ち出しやすいサイズということもあるけど、値段が安いと首にかけてふらっと歩き回る時の心理的な抵抗感が少なくていいです。
思考の /dev/null