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半年ぶりくらいにヘッドホンを手に取ってみたら恐ろしいくらい埃が積もってて、これ別に買わなくても良かったやつかなあと思った。

子供の頃住んでた家の近所に、夕方になると庭先に座って演歌を歌っている爺さんがいて、いつも大声出してるし前を通るとじろりと睨んでくるので怖かったんだけど、ああいう光景もうほとんど見かけなくなりましたね。

キャンプ用の折り畳み椅子(ゆるキャンのしまりんが使ってたやつ)を、いつでも自由に道に広げて、人間は道端でくつろいでもいい風潮になって欲しい。

明日から一週間はずっと天気悪いみたい

スマートホンに立体視の画像を入れておいたので、手持ち無沙汰な時にいつでも遊べます。

30年くらい前と比べて、食っていけなくなった職業って結構あると思うんだけど、そういう人がどこに吸収されていったのか、良くも悪くもちゃんと知っておかないといけない気がする。

ドライフルーツって高いけど好きな人たくさんいるので、ドライフルーツ屋さんになるのもいいかもしれない。

極論言うと、人肉食べたい人にお肉を提供するとたぶん滅茶苦茶喜ばれるだろうし、喜んでもらえたらすごく嬉しい気持ちになるだろうなと思って、人生とか生活とか、今自分が持っていてそんなに苦労することなく出せるものをお互い融通し合って、ウィンウィンでいられたらそれはすごく理想的な状態だなと思う。

たとえインターネット越しだとしても、人と話すと見栄を張ったり格好つけようとしたり、感心されたい気持ちが出てきて、そういうのが生きていたいなって感情に繋がっていく近道なのかもしれない。

ヨコハマ買い出し紀行読んでると生きていこうみたいな前向きな気持ちにはなれるけど、やっていくぞみたいな向上心がどんどん失われていく。

怒りのデス・ロードの輸血袋みたいな人生も案外ありなのかもしれない。

自宅に温泉を引くのもいつでも自由に好きなだけお湯が使えるわけではなくて、たぶん町内会とかに月額いくらとか、水源?の清掃活動に参加する義務とか色々と面倒臭いことはあるのだろう。

温泉の出る街とかにある、道端に蒸気が出ててそこで自由に野菜とか蒸せるやつ、良いなと思うので温泉の出る街に住んでみたい。

他人の生きてていい理由を見つけるのは結構得意だけど、自分の生きてていい理由を見つけるのなかなか難しいものですね。

この先生きていけるだけのお金が手に入って欲しいけど、最近はそのお金がちゃんと生きててえらい人のところに行き渡った方が全体の幸福量は大きいのでは?と思って、お金欲しいとは言い出しにくくなりました。

お金がうなるほどあったら、どうしようもない人を集めて開拓村みたいなの作りたい気持ちがある。

僕のところの老人、猫の額くらいのご飯しか食べないけど、よくあれで生きていけるなと思う。

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