「日本駆け込み寺は、Colaboの後釜として東京都若年被害女性等支援事業の事業者に選ばれた団体ですが、その事務局長がコカイン所持で逮捕されたらしいですね。」https://x.com/rebellion_akko/status/1924396296238190667
「雨女/雨男といえば、そういう話題の時に「自分の影響力を過大評価すな」てキレてる子がいて、そういう観点はなかったので面白かった。影響力だったのか。」https://x.com/chapter_22/status/1924601420436930620
「先日、ある大学の教授と話す機会がありました。その教授いわく、 「いや、住職、私も大学に勤めて長いけれど、今年ほど学生が笑わない年はないね」 私、 「そうなんですか」 「そう。本当に笑わない。今までだと、講義前や、それこそ講義中でさえ、男の学生の馬鹿笑いや、女子学生のキャッキャッという、にぎやかな声が聞こえましたよ。今年はそれがない。それどころか、私がこれまで講義中で言えば必ず学生が笑った冗談にさえ、今年は反応しない。」 「学生には厳しい時代になりましたからねえ」 「まあ、そうですね。レポートを出させても、みな真面目すぎるほど真面目に書いてくるんですよ」 「必死なんでしょう」 「そうなんでしょうが、私はもう一つ、理由があるような気がするんです。それはね、今年の学生なんかは、世の中にあまりにひどい嘘が多いことを、身にしみて味わってきた連中なんじゃないでしょうか」」
「学者はWindows95が出た時期に渡米して、PCが職場に普及するより早く「ソフトウェア」の日本語訳を作る義務があったが平成のカス学者共は、誰もパーソナルコンピュータを翻訳しなかった。それどころか英語を理解する自分達の優位性を誇示するばかりで、誰も社会貢献など考えもしなかった。ゴミとクズの集まりである
パソコン用語の社会への定着によって、日本のアカデミアの社会的無価値は証明されたのである
1995年に無価値なゴミだと証明されて死んだものが、左翼にすがり、女にすがり、中国にすがり、土に還るのを拒んで腐臭を撒き散らしながらゾンビのように動いているだけだ
いま危機に瀕しているのは周りの社会であって、大学は排除すべき社会の脅威そのものである」
「これの怖いところは、今後はうっかり「これはよくないのではないか」と表現なりなんなりを批難するようなことを公言したとして、そこから便乗的に排除行動が起きてしまったら、「最初に犬笛を吹いた者」つまり「加害者」と認定され、自身がキャンセルされかねないということ。」https://x.com/GoITO/status/1923773116221989364
「しかし、意味はまったく違うのである。
この台詞は、身分違いの貧家の娘と結婚した息子を勘当にした大富豪の父親が、夭逝したその娘の葬儀のときに数年ぶりにあった息子に、お悔やみとともに、「I’m sorry」と言うのに対して、息子が顔も見ずに返す言葉なのである。
「もし、あなたが私を愛していたのであれば、あとになって『すまぬ』などと言うような行為をするはずがない。つまり、あなたは息子である私を昔もいまも愛してなどいないのである」という、これは絶縁の言葉なのである。
「愛」というのは、あとで「ごめん」といわねばならないような仕儀に立ち入らないように、一瞬たりとも気を緩めないほどにはりつめた対人関係のことである、ということを私はこのとき学んで、「おおお」と目からウロコを落としたのである。」
マストドン好き