「その日、私は盲学校時代の友人たちに相談の電話をしてみた。
驚いたことに、「私もそんなことがあった」、「うちでは上の子のときも下の子のときもそう言われた」、「そういえば、そんなふうに言われたという人の話を聞いたことがある」などと言う人が何人もいたのだ。
それにどう対処したかといえば、「子供が断固として嫌だと言うから断った」、「うちの子は、勉強もスポーツも駄目だから、こんなときくらい表彰台に立たせてやってもいいかなと思ってOKした。
それに結構買い物なんかさせてるしね」、「聞いた話だと、その人は仕事が忙しくて半分くらい子供に家事をやらせているからということでOKしたらしい」、
「考えてみれば、子供の目を借りることも結構多いから、まあいいかと思ってOKした」、「うちの子は自分で校長室へ行って断ってきた」等々だった。
あちこちの自治体で毎年同じようなことをやっているのだということに、まずおどろかされた。」
「正直に言います うちは今年の春に大型トラック部門をほぼ撤退しました。 理由は単純です。 「もう、この構造では経営が成り立たない」から。 5年前に1,500万円で買えた大型ウイング車が、今は2,000万円を軽く超える。 燃料代は倍、保険料も上がり、部品は値上げ、整備工場の予約も取れない。 それでも運賃はほとんど上がっていません。 数字だけ見れば、大型でも軽バンでも手残りはほとんど同じ。 でも大型はリスクも責任も桁違い。 60回のリースを事故もトラブルもなく完走して、ようやく利益が出る。 でもその間に車は傷み、修理代は何十万、何百万単位。 ドライバーが辞めれば即赤字。 新車でもエンジンブローしたことがある。 「大型は夢がある」なんて言葉は、今や幻想です。」
「私の考えでは、もはや音楽に歴史というものはないと思う。つまり、すべてが現在に属している。これはデジタル化がもたらした結果のひとつで、すべての人がすべてを所有できるようになった。レコードのコレクションを蓄えたり、大事に保管しなくてもよくなった。私の娘たちはそれぞれ50,000枚のアルバムを持っている。ドゥーワップから始まった全てのポップミュージック期のアルバムだ。それでも、彼女たちは何が現在のもので何が昔のものなのかよく知らないんだ。例えば、数日前の夜、彼女たちがプログレッシブ・ロックか何かを聞いていて、私が「おや、これが出たときは皆すごくつまらないといっていたことを思い出したよ」と言うと、彼女は「え?じゃあこれって古いの?」と言ったんだ(笑)。彼女やあの世代の多くの人にとっては、すべてが現在に属していて、「リバイバル」というのは同じ意味ではないんだ。」
「このまま日本のコロナがある程度収束に向かうと、先進国で唯一法的に私権を制限せずに達成したことになるし、台湾や韓国のようにスマホのGPSを国が監視するような個人情報の侵害もなかった。それって日本の戦後民主主義の1つの成果なのに、リベラルを掲げるメディアがあまり称賛しないのはなぜだろう…」https://x.com/cynanyc/status/1260683210058424320
マストドン好き