そうでなければ、思想や発言の自由は制限されるべきでないというのがijsの思想であるので、不快だからという浅はかな理由で言論統制する奴らと同一視されるのはとてもではないが納得がいかない。
差別の解消のためという名目で差別にお墨付きを与えるのは、機会の平等と結果の平等を恣意的に(都合のいいように)混同する存在や逆差別ビジネスに走る存在を生み出し、同時に「差別される側」とされた弱者が一切救済されないということが起きうる。
結果、カウンター的にもとあった差別が復興して本末転倒、いや、それ以上の地獄絵図になりかねないとijsは捉えている。
不穏><;
力を持つものが「何が差別であるか」そして「何が差別ではないのか」をその力により独断で決めること自体、差別そのものであるし、人種差別の多くの構造がそうであり、それにより人種間での憎悪が広がり内戦やジェノサイドにまで繋がった例もあるかも><
一方で、差別の解消が、過去、事実上何らかの力を持つ事、そして多くの場合その時点では違法であったり何らかの決まりに反する物事として進行し、そしてその法律やその他の決まりの方が違法あるいは国際法や条約等に反するとされ、結果的に差別の解消に向かう流れであった事も、ある意味悲しい事に事実かも>< 例えばアメリカにおける人種差別の解消への流れの大きなきっかけのひとつはバスの座席に違法に座ることであったし、ニューヨークでの同性愛者への差別は、ゲイが警官をぶん殴ったから解消に繋がったとも言えるし、だからこそ今でも差別解消を祝うお祭りで警官と同性愛者が一緒にパレードする><
(話が脱線してまとまらなくなった><;)
バーチャルな存在を目指しているステルスマイナーな存在