そういうのはカップ麺というものをわかってきてから個々人が嗜好や状況に合わせて勝手にやるものであって、薦めたり解説するなら当初想定されていた方法論を提示するのが妥当でしょう、という話です
(べつに変なやりかたを積極的に広めるのも個人の勝手なんだけど、それを言ったら何もかも個人の勝手なので、そういうレイヤーの話をしているのではない)
喩えてみるならカップ麺にお湯を注ぐかという話で、べつに注ごうがそのまま齧ろうが個人の勝手だし、ふやかそうが固めで食べようが好きにすればいいんだけど、カップ麺初心者に、パッケージに描いてあるのと違う食べ方を薦めたり、あげく「こう使うものなんだよ!」と説明してあげるのは是非ともやめてほしいな、という感じです
べつに使い方なんて勝手にすりゃいいじゃんというのはその通りなんだけど、結局よく知らないまま他人(特に初心者)に変な使い方を薦めるのは避けてほしいなぁという願望があり、そういったケースが事故で発生することを防ぐために啓蒙をしているという面があります。
なお、ここでいう「変」かどうかはプロトコルやアプリケーションの設計や意図を観察することで規定されるものであって、ある程度(どの程度かはさておき)の客観性があるものと考えてください
@TaiseiMiyahara お互いがお互いの使い方を披露して、いいなと思ったら取り込めばいいなと思うんですけど、なかなかむずかしい……
A「私はこう思う」
B「いや僕はこう思う」
AB「そういうのもあるのか」
って感じで、喧嘩じゃなく前向きにお互いの主張発表会がみたいなと思ってます
@TaiseiMiyahara お互いがお互いの使い方を披露して、いいなと思ったら取り込めばいいなと思うんですけど、なかなかむずかしい……
A「私はこう思う」
B「いや僕はこう思う」
AB「そういうのもあるのか」
って感じで、喧嘩じゃなく前向きにお互いの主張発表会がみたいなと思ってます
つまり、コミュニケーションツールであるという見方には同意するんですが、「場を用意してユーザが集う」という、集団そのものに焦点を合わせたものと見るのか、「ユーザが繋がるとコミュニティっぽいものができてくる」というユーザに焦点を合わせたものと見るのか、その点で大きな違いがあります
私が Mastodon (や分散 SNS) を見ているときの見え方は違っていて、「場」というのはリンク関係から自然と構築される(もっと言えば、ユーザが勝手にそう見ているだけの曖昧なものが出来上がる)もので、 Mastodon における重要な存在は「場」ではなく「ユーザ」である、という話です
普段は個人で立てたインタンスにいます( @rk_asylum ) このアカウントでは主に飼い猫の写真をアップしたり、自鯖のメンテ時に浮上したりします。 #nere9ねこ部 #cat