補足><
補足1:『学ぶ』を選択した場合「メアリーが初めて色を見た時に学ぶものがクオリアでは無い」ということになり、これはつまりメアリーの思考実験がクオリアとは無関係である事を証明する事になるのでは無いでしょうか? つまり、機能主義者によるクオリア否定の説明を哲学的ゾンビに代弁させているという状況を作り出しています。情報源がクオリア以外であるのであればそれはメアリーもクオリア無しでも新たに何かを学ぶ事になるはずです。
補足2:『学ばない』を選択した場合、哲学的ゾンビの思考実験の前提である全て同じ挙動という定義に明らかに矛盾します。つまりこれは、『メアリー』と『哲学的ゾンビ』の思考実験は互いに矛盾することを示しているのではないでしょうか?
つまり、この思考実験は「クオリアの存在をどの時点でどのように学べるのか?」という点に矛盾なく答えることは可能であるかという点を指摘しています。例えば直感でわかるというのであればその直感とは何か? クオリアとはどう違うのか? それはどの段階で学んだ情報によるものなのか?(そもそも実験前に学んでいないという思考実験です)それは矛盾なく説明可能であるだろうか?