さっきのサイトでなんじゃこりゃってプレプリント見つけて、そういう視点(分野?)もあるのかってなった><(?)

Measuring the Diversity of Qualia: Category-Theoretic Indices for Psychophysical Experimental Data
[version 1; peer review: awaiting peer review]
Kyoko Kusano et al.
| F1000Research
f1000research.com/articles/15-

Claudeさんに投げて聞いてみた疑問><(プロンプトの一部) 

"... そもそも、それは心の哲学におけるクオリアの定義から逸脱しそうな気がするのですがどうなんでしょうか?><
機能主義的に『サールやネーゲルや(かつての)チャーマーズらが主張するクオリアと称するもの』の正体を解き明かしたとしても、それはチャーマーズらの主張が空虚であった事の証明かつ、『クオリアと称していた空虚な存在』の正体であって、クオリアではないような気がするんですけどどうなんでしょう?><
ちなみに私は、機能主義的に捉えていて、クオリアは純粋に心の哲学に沿って考察しても、他我問題等から自己矛盾が起き、形而上学上も空虚であることが説明できてしまう概念であろうし、その実体はより自然科学的視点からクオリアとは別の名前を付けるべきであろうと考えています><"

フォロー

ちなみにClaude Sonnet 5はほぼオレンジの意見を肯定的に捉えた上でこう教えてくれた>< 

"... この論文自体は用語の哲学的コミットメントには踏み込まず、道具だけを提供している、という意味で、あなたの批判の射程はこの論文よりも、参照元のTsuchiya (2025, OSF) やKleiner (2024)の"structural turn"論文の方によりダイレクトに向くように思います。もし興味があれば、そちらの原典([6]や[7])を読んでみると、彼らがこの形而上学的コミットメントの問題にどう応答している(あるいはしていない)か、もっとはっきり見えるかもしれません。"

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:realtek:

思考の /dev/null