日米の公私の考え方で大きく違うと思うのは、日本は『私有の範囲が私』で『それ以外が公』みたいなわけかただけど、アメリカは、『私有の範囲でも公の部分と私権の範囲がある』って発想で、自信も公の構成員の一部であるみたいな発想があるかも><だからこその私権の範囲のたとえが「バックヤード」(家の裏側の庭で塀で囲まれてる)であって、私有地全体では無い><家の前の芝生が植わってて塀が無い部分は、私有地ではあっても公の部分><(条例で縛りがあったりする)
x 自信もo 自身も><;
思考の /dev/null