まず、科学的推論をまず教えてから、ただしそれだけではマイノリティに配慮した行動はできないという形で教えなければ、そもそも仮説形成すらできなくなるので「たしかに偏見だったかも」だけになっちゃうと、言ってみればオッカムの剃刀の適用場面や確率で考えることすらも放棄することになり、現実のマイノリティ問題への対策でさえも一歩も前に進めなくなる><
「無根拠に先入観を持ってはいけない」という話と確定できない中で確率で考えて最も妥当であろう答えを仮に選択して前に進める(仮説形成)を混同して、100%材料が揃うまで前に進まないと考えてしまうのは、少なくとも標準的な科学的手法や広範な教育学的発想から見て誤りかも><
(ここ数日リンク貼りまくってた論文参照><)
ある意味、中学校の国語の授業でも失格(?><;)になるレベルの誤り><

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ログ読んでだけだと不親切なので、最後の中学校の国語云々の部分の参考><

解釈する力を高める発問 : C.S.Peirceの認識論に基づく「読みの授業論」の構築(2) | CiNii Research cir.nii.ac.jp/crid/10502828137

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