責任の分界があやふやで、権限と一致せずに道義的責任で考える文化圏でその考えのままで成果主義をやろうとしても、その成果/失敗への貢献がどこにあったのか(誰にあったのか)の評価も曖昧になっちゃって、ただの責任の押し付けあいと手柄の取り合いになっちゃうかも><アメリカみたいに行動を実行に移す前に誰にどういう権限がありどういう責任があるのかしっかり決めておく契約文化であれば、ある程度それに基づいて報酬を分けるって出来るけど、誰がどう貢献したのかわからない状況を作って成果の判断なんて無謀かも><
思考の /dev/null