視覚と聴覚に依存したら視覚と聴覚がない生命体は気づけないそれはそうだけど、人工的な信号であると理解できる能力を持った生命体社会(?)であれば少なくとも人工的な信号であるとは気づけるだろうし、ある情報を伝える時に全ての情報を受けとる前提ではなく送信すること自体は全くおかしくないのでは?><
例えばNTSCの映像信号を『白黒テレビ生命体』に送ったとして、白黒テレビ生命体は色差信号は解釈出来ないけど、モノクロ映像として解釈できるのでモノクロ映像と解釈できる><(当たり前だ><;)
アレシボメッセージの画像部分も2次元の情報を俯瞰する能力を持つ(例えば2次元の世界観を持っていて、その世界の地図を想像する能力がある)者が拾えればそれでいいだろうし、全ての『知的存在(定義不能)』を絶対的に対象にしようとすると、送れる情報って結局無くなるんでは感><
(少なくとも電波による交信の試みである以上電波を情報として理解できる知的生命体社会のみに対象を絞ってるし><)
結局の所、人間社会が持つ情報を、その情報が破壊されない程度に単純化しそれを送り、そしてそれを解釈できる知的存在が対象にするのは妥当では感><

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蛇足または本題><(?) 

ていうか、この話の特に『白黒テレビ生命体』を用いて考えた部分から先ってHTMLの現状の問題への指摘としても使えるかも><
オレンジは別にウェブで映像も音声も使うなとか言っていない><

テキストの情報であればテキストの情報が必要なのであって、それだけを選択的に取得しても全く問題無いようにすべきであって、それに対して無駄にコンピュータープログラム化させたり、巨大な背景画像の受信等が必須であってはならないって考えてるかも><

あらゆる全てのウェブサイトのうちの本質的にウェブアプリではなければ成立しないもの(例えばGoogleマップはウェブアプリ(またはアプリ)じゃないと成立しないものかも)以外は、より単純なブラウザで必ず意味を読み取れるようにすべきかも><

写真一枚とそれに対する説明は、画像ひとつとテキスト(時にハイパーリンクを含む)であって、ビューアにそれ以上のものを(必須な機能としての)要求をすべきでは無いかも><

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