陰キャ陽キャの壁にひとつ自我はただあるかコミュニティとの関係性において存在するかみたいな考え方の違いがあって、後者に従うならコミュニティへの影響を設計する形でしか発言できないことが何かの制約になるという感覚はなくなるのかもしれない
思考の /dev/null