B'zはダサいかダサくないかみたいな話がTwitterで盛り上がってるらしいが、今はあんまり信じられないけど、俺が学生時代は音楽評論家の評価やサブカル視点の評価というのが結構力を持っていて、デビュー当時のB'zは、評論家筋からはダサい扱いでしたよ。しかも長戸大幸率いるビーイングレコード所属ということがあったから、サブカル的な視点からも批判されてたしね。
あの頃、渋谷陽一辺りの言説が結構力持ってたんだよ。ツェッペリンは良いけど、他のベビーメタルやハード・ロックはダサいとか、薄っぺらいとかゴミ扱いでね。産業ロックという侮蔑的な言い方でヒットチャートに入ってくるようなハード・ロックやAOR系のミュージシャン、ボロクソだったもんな。売れてる音楽=ダサい、みたいなものは80年代欧米でも根強かったもんね
で、リスナーとしてはここで分岐点が来るわけよ。そうした言説に乗っかって聴く音楽かえたり公言しなくなるか、自分の好きな音楽変えずにいくか。俺がマサ伊藤が今でも好きなのは、あの当時から、そういうバンドのこと好きででいいじゃん、俺も好きだと言ってたからよ。B'zのこともビーイングのやり方には距離取ってたけど、バンドとしては当時からずっと評価してた。つまりはね、やはりロッキン・オンよりバーンなんですよ、やっぱりねw
「宗教は麻薬だ」という有名なフレーズを知って宗教を敵視する人がそれなりにいると思うが、これは「現実の耐え難い苦痛に苦しみながら生きてゆくためには、宗教という麻薬のチカラで苦痛を和らげないととても耐えられない。」という話なのだと思っている。
手短に言うと【麻薬と言っても害毒ではなく鎮痛剤】
哲学ではモノを考えるにあたって「出発点としてこれだけは確かなことだ」という手法がよく使われるが、それが無ければ言葉はふわふわしてしまって厳密な話ができない。そして哲学ではない日常生活の思考での揺るぎない出発点は何か?という時にその役割を形にしたモノが宗教だと思う。例えば「死ぬのは恐ろしいがどうすればその不安から逃れることができるのか?」この不安を簡単に解消するために例えば「死後も世界がある」という設定を真実として語る。これが信じられれば安心して日常に戻れる。こういうのが宗教の使命だろう。
だから宗教は麻薬だけと撲滅しようとしてはいけない。
昨日の倉田真由美の「姥捨て山」推奨発言だが、私の衰えてきている「短期記憶」で振り返っても、ここ数年、落合陽一、古市、たかまつなな、成田悠輔などTVタレントが、ほぼ同様な提言を繰り返し行っている。
これは、TVと政府自民党が結託して、可能なら世論誘導、無理なら観測気球と「サブリミナル効果」を狙って、意図的・周期的に流している、と考えるべきだろう。
実際、これまた定期的に流れてくる「世代間対立」を煽る言説にさらされた「若い世代」には、或る程度「刷り込み効果」は出ている。
昨年の選挙でも、「手取りを増やす」=「社会保険料」減額を唱える国民民主と石丸への支持がほぼー世代的にもー重なっていることはそれを如実に示している。
ただし、40後半になると、「世間はそんなに単純ではない」こともわかってくるし、そろそろ自分達が「切り捨てられる側」になることを予感して、国民民主=石丸的なものへの支持は下がって来る。
そこで宇野常寛のように高齢者の票は「2分の1」にカウントすべき、という悪辣な主張をする「文化人」も出てくるわけだ。
しかし、常識的に考えれば軍事費を削減し、富裕層と大企業に応分の負担を求めれば、財政的にはまだ十分に余裕がある。しかし、何故かマスコミはこの選択肢を絶対に提示しない。
死は不幸ではない 生は幸福ではない