昔、農協のバイトしてた時、選果場では、ちょっとでも見た目が悪かったり、大き過ぎたり、小さすぎたりすると、全部「規格外品」扱いにして大量に捨ててたけど、最近増えてる「わけあり」農産物とかは、値段も安いし量も多くてお得だし、積極的に買ってる。
スーパーの担当者さんに、そういうことを気にする人がいて商品化してるんだろうけど、買う人がいなければそのうち消えてくから。傷なしと比べるとかなりお得なのに売れ残ってるのをよく見かける。そういう商品を意識して買うのも自分にできることの一つだと思ってる。
選果場に運ばれずにそのまま畑で廃棄される農産物も考えたら、ほんとに膨大な量の食べ物を捨ててる。でも「規格外品」でも売れるとわかったら、捨てずに出荷されるようになる。
こういうのって、いくら政府が「曲がったきゅうりを食べましょう」とか言っても、いくら企業が努力しても、消費者が変わらなければダメなものの一つだと思う。
誰も買わないものを作り続ける営利企業はいないんだし。
そういう小さなことの積み重ねだと思ってる。
これは署名しなければ。ここは本当に素晴らしいのよ。ただでさえ本県にはこうした文化財が少ないからさ……
QT: https://fedibird.com/@gohstofcain/113093921300200941 [参照]
新自由主義による格差の正当化は、規範としては「自己責任論」の内面化として現れます。
特に近年学生にこれが著しい。医学部や高偏差値の大学生は、たまたま親の資産によって受験パズルを解くのが得意だったのを「自分が優れた人種だった」からと思い込む傾向がある。
これに進化生物学の俗説が組み合わせると、手がつけられない。「自分はDNA的に優れている」、「優れた個体は自らのDNAを多く残す」、「劣ったDNA=競争の敗者は自然淘汰される」とまるっきり優生学的言説を内面化する。
医学部の学生などは分子生物学や遺伝学を知りもしないのに、「知ってるつもり」なので、尚始末が悪い。これは分子生物学や遺伝学者が、しっかりと初年次に「教育」をしないことにも責任の一端がある。それどころか、ご本人たちが優生学的言説に距離を取れてないことも多い。
この有様だから、大学生の「集団強姦」事件と言えば、たいてい医学部か高偏差値の大学の広告サークルである。
こういう時だけ「再発防止」のために教育学部や倫理学に「諮問」は来るが、「集団強姦」が反倫理的、法的に犯罪であることは大学の講義で教えるものではない。ただ「ダメなものはダメ」なのである。
しかし親の権力で示談に持ち込み、レイプを繰り返す連中がいるのはまことに許しがたい。
https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/bunkaka/oshirase/19523.html
DIC川村記念美術館の存続を求める署名が始まっています。よろしければ署名&拡散をお願いします🙏9/30までです。
死は不幸ではない 生は幸福ではない