テレビというメディアそのものが危機にあるという。子どもの頃、人びとが新聞よりテレビニュースをみるようになって、学校の先生は嘆いていた。「新聞は何度でも読み返せ、自分で考えられる。だがテレビは単純化した言葉を投げつけてくるだけだ」と。確かにと思った。それでもテレビの力は新聞を凌駕した。
その後ネットが出てきた。15年くらい前、私は学生たちに「新聞・テレビは政府に都合のよいことばかり報じるから、鵜呑みにするな。自らネットで情報を取りに行け」と言っていた。たとえば2011年の東日本大震災と原発事故のとき、原発の危険性を政府や企業が隠そうとするのに対しネットは重要な役割を果たしたと思う。
だがその後ネットは、誹謗中傷や偽情報の手段となった。私は数年前、十代向けの本に「ネットにだけ書いてあることには気をつけろ。新聞やテレビは、事実関係の裏取りはする。マスコミに全く書いていない情報は安易に信じるべきでない」と書いた。自分の言うことが、この10年で180度ひっくり返った。
青空文庫で芥川龍之介の「河童」を読みました(ネタバレ)
河童界では職工 (末端作業員) は失業と同時に食肉に加工されるという文化が出てきて、人間である主人公がショックを受けて憤慨する。それに対して河童側から「あなたの国でも第四階級の娘たちは売笑婦になっているではありませんか? 職工の肉を食うことなどに憤慨したりするのは感傷主義ですよ」と笑われる。芥川龍之介 (大正~昭和) としても性産業はそういう感じだったのね、などと。
あと労働者階級のための政党とそれが発行している新聞も資本家の後援を受けて実質的には資本家の支配下である。みたいな話も出てくるのね。なんか現代と変わらない構造への皮肉がいっぱいで面白かった。からの、初出1927年つまり100年近く古い作品の皮肉が今も通じることに虚無の顔。
僻みかもしれないけど、ホウリツセンモンカさんの、「なぜあれは無罪になったかというと~だからだ。(別におかしくない)」「あんな署名はやらない方がいい」「立花はなぜ捕まらないか手続き的には妥当」みたいな言辞は、法手続きのことを知らない人間は声をあげるな、みたいなアレ(言い過ぎかもやけど「言論封鎖」)にも感じるんよね~。
じゃああなたたちはただ見てるだけっすか?ここは法の不備だ、とかいやいや不備ではなくて…みたいに議論に入らんのか。ホウリツセンモンカというのはただ法令に詳しいだけの人か。
死は不幸ではない 生は幸福ではない