『反AIの倫理学』第5章 理解なき遂行|Reading Monkey https://note.com/reading_monkey/n/n5f5d33aff4a8
これ、心の哲学に関連するこの章だけ読んだんだけど、"構成的理解観"の擁護を不可知論的立場から行うのはかなり無理があるのでは?><
一般的な哲学の水準からはこれでもいいとされてるっぽい雰囲気(?><;)だけど、結局のところ十分な根拠を持ち合わせていないし、恣意的に甘いルールを用いた発想であると思うんだけど><
あえて雑に表現すれば「わかった!」とか「そういう事だったのか!」と感じることには価値があり、それが機械には起きないとは決めつけていないから人間例外主義ではないという主張だよね?><
それ自体を機能主義的に還元すれば、それ自体を脳の快楽的反応、報酬的系反応と書き下せるわけだから、究極には「私は気持ちいいからOK」だけになってしまう><
であるとすると、機械の挙動に関しても報酬系的な挙動を持っていればそれは十分に正当化されるとも言えてしまう><
そこまでフェアにジャッジするのであれば矛盾は無いと思うけど(そうであると書いてあるように見える)、仮に生物の報酬系を想定してしまっているのであれば、これも悪い意味でサールの生物学的自然主義の派生でしか無くなるのでは?><
一応補足だけど、別にこれは元の記事の内容が全然ダメと言いたいわけではなく、むしろ読み物として素晴らしい水準のものであると思うけど、
現在の哲学界が不誠実な態度のせいで、本来無効化されているべき主張がそうならずにひとつの説明として権威をもってしまっているものを、ほぼそのまま反映してしまっている事を、オレンジは指摘したい><
この記事は哲学の問題の解決を目指すものではないとしてるとはいえ、この議論に関して現在の哲学界の哲学は土台として不十分であり、自然科学等の分野並みに厳格な手法を用いたより限定的な哲学を用いなければ砂上の楼閣になりうると言いたい><