あえて雑に表現すれば「わかった!」とか「そういう事だったのか!」と感じることには価値があり、それが機械には起きないとは決めつけていないから人間例外主義ではないという主張だよね?><
それ自体を機能主義的に還元すれば、それ自体を脳の快楽的反応、報酬的系反応と書き下せるわけだから、究極には「私は気持ちいいからOK」だけになってしまう><
であるとすると、機械の挙動に関しても報酬系的な挙動を持っていればそれは十分に正当化されるとも言えてしまう><
そこまでフェアにジャッジするのであれば矛盾は無いと思うけど(そうであると書いてあるように見える)、仮に生物の報酬系を想定してしまっているのであれば、これも悪い意味でサールの生物学的自然主義の派生でしか無くなるのでは?><
この発想は、究極に単純化すると、報酬系は生存や種の保存、環境適応的にポジティブな行動へのアライメントであるからして、AIの挙動も同様の環境適応的行動であればそれは正当化されるという事になってしまう><
引用><
"...この立場の主張は「理解の経験には、出力に汲み尽くされない価値がある」ということであって、「その経験は人間にしか宿らない」ということではない。..."
つまり、AIの環境適応的性質を持つあらゆる挙動にも "出力に汲み尽くされない価値" なるものがある事になってしまう><