めも>< 

そもそも根本の「説明できないもの」があるという主張自体が誤りであると私は考えるのですが>< 私の考えはホフスタッターやデネットにかなり近いけれどもっと抽象化したもので、「チャーマーズがクオリアと勘違いしているものは、単に哲学的ゾンビ、皮肉にもチャーマーズが正しくモデル化した『人間』でもある哲学的ゾンビの必然的な範囲の内部処理の事である」と整理して考えてます>< デネットが頑張って説得しようと色々発想した概念すらも実は不要であろうという考え方です><

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めも>< 

全く抵抗はないですし、単にどうモデル化するだけの話でなおかつ現実に基づいたモデルがそれであり、チャーマーズやサールのような神秘主義が現実に則していないモデルであるというだけの話です>< 現実に基づいたモデルであろうものが見つかったからといってピカソの作品が突然 岩の模様や砂漠の風紋に変わったりするわけでは無いです>< ピカソにクオリアなるものがあろうとなかろうとピカソが描いた絵はピカソが描いた絵です><

· · SubwayTooter · 1 · 0 · 0

めも>< 

(時系列逆><)

そもそも意識を持っているかは砂山のパラドクス的なもの、つまり複雑性からの創発に対してどこに線を引くのかという厳密には定義不能な問題であってグラデーションであり、AIに意識があるかないかは、砂山か砂粒の集合かや、赤と青の間はどこから紫に変わるのかを議論する程度には、線をひとつ引くのが無意味な議論であると思います>< 哲学的ゾンビが間抜けにも示したように、個別の言及が客観的に記号接地しているように見えれば記号接地しているといわざるおえないですし、身体性の議論も「哲学的ゾンビは身体性を持っているのか?」という形に拡張した議論にすれば、そもそもほとんど無意味な議論であると説明可能であると思います><

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