ルワンダにおける1994年のジェノサイド : その経緯,構造,国内的・国際的要因 - 徳島大学機関リポジトリ https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/74524
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P.67
"...米国の政策決定者も,民族的な殺し合いが内戦の中で起きているので内戦を止めることが重要と考えていたふしがあり[131],事態を「ジェノサイド」ではなく,「ジェノサイド的行為(acts of genocide)」ととらえていた[132]。これには,事態の分析,理解が不十分であったことの他,意図的にジェノサイドとの認定を避けた面もあった。事態がジェノサイドならばナチスの例を引くまでもなく,また「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約(ジェノサイド条約)」の当事国としても,道義的,法的に非関与の立場をとることは難しくなるからであった。政府部内にも「ジェノサイド」の言葉は使わないように指示を出し,6月に入ってようやくクリストファー国務長官が「ジェノサイド」と表現するようになったが,それは事態が終息し,仏軍中心の軍事行動が行われ,米国が対応を迫られる可能性が減ったからであったとみられる"
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P.66
"...ソマリア軍事介入。これに懲りた米国は,国際社会への軍事協力に極めて慎重になり,国連のPKOについても経費的,人的コストを鑑みて米国の国益に資する場合のみ協力するという立場を表明,クリントン大統領は94年5月3日,「大統領決定指令(PDD)25」に署名してこれを公式に規定した。"