@orange_in_space 私は責められてもいいですよ。
@toyotamakenkyusyo 実際問題として、現に都市に関心があったり鉄オタだったりが多いと思われる まちトドンでさえも、万世橋架道橋の経緯の背景でもある関東大震災の話が、しかも直後に「そもそも首都が東京とは」という震災がバッチリ出てくる話題なのに登場しなかったっぽいほどには、関東大震災で何が起こったのか知られてないっぽいかも><(東京西部と渋谷の発展の歴史と絡めた話もでなかったのも意外かも><)
そのくらい知られていないのに、マニアですらない多くの人々が「それほど遠からず東京のある程度の部分が壊滅するし、避難と救助と復興の余地を考慮した形態にはなっておらず脆弱である」と認識しているとは思えないかも><
リスクを受け入れた上で活用するのは、水害の分野では古くから行われていて、武田信玄も行っていた、田畑を遊水地にする治水が代表的と言えそうかも><
それらは人が住まないことによって超過水害時に人を守るための防災の仕組みであって、受け流すための余地を空け、土地利用の分散によってリスクを分散する仕組みかも><
集落の形態としては散居の反対の集中であるのでややこしいけど機能分散かも><
@orange_in_space
要するに、災害リスク情報の伝達が困難だから首都一極集中は避けるべきということでしょうか?
だとすれば、首都一極集中派の答えは簡単で、集中か分散かとは関係なく、先に災害リスク情報の周知を徹底すべきであって、ただちに集中を否定する理由にはなりませんね。
もちろん、情報周知よりも分散の方が低コストだとか、集中している以上はリスク情報を知っても集中したままにならざるを得ない、選択の余地がない人が大半ではないかとか、そもそも完璧な周知は無理なのだから安全側で分散がよいとか、反論はあるでしょう。
首都一極集中派はそれらを考慮してもなお集中のメリットの方が多いので、現に集中しているし、集中させるのがよいと考えると思います。ただ、そうなると集中のメリットも災害リスクも定量評価が難しすぎて水掛け論になりそうです。というか、定量評価で決着をつけられないからこそ、集中派と分散派が未だに延々と結論のない議論をしているとも。
@toyotamakenkyusyo @orange_in_space
以下、よく考えてない戯言ですが、
情報の非対称性による市場の失敗、に似ている気がしますが、その対応策としてすべきは市場の統制ではなく情報の流通ではないでしょうか。
人々がリスク情報を知って、かつ自由に選択できる状況でもなお東京を選ぶとしたら、果たしてどうすべきか?というのもあります。
あと、私は東京都区内とはいっても、水害とは無縁の高台平地にある火災が広がりにくいRC造、低建蔽率の集合住宅に住んでいるので、あまりリスクを感じていないのはあるかもしれませんね。
同じ東京でも東の方の木密とかは想像するだけで恐ろしいですが。
東京の中でもリスクに選択の余地がありうるとも思います。
続き1、長文注意
@orange_in_space
論点がずれるので、後回しにしていましたが、
(1) 関東大震災は教訓か?
関東大震災以前の江戸時代から江戸で木造市街地がよく燃えるのは周知で、関東大震災で燃えてもなお西部の郊外に無秩序に木造密集市街地を拡大し、戦災で燃えても今尚木造建物が密集しているのが現状と認識しています。
火災リスクを知らない/忘れた、というより、火災リスクとは共存せざるを得なかった、リスクを許容してきた面を感じます。
あるいは、情報の不十分さが問題だとしても、分散という名目で郊外に木造密集住宅地を乱開発することに意味があるのか、となります。
あるいは、そもそも道路一本通すのに数十年かかる都市計画は非力で、防災の必要性が分かっていても変えるだけの力がなかったとも、とれそうです。
@toyotamakenkyusyo 遊水地の話はまさにその通りで、災害を前提とした余地の部分に家を建ててはいけないという話になります><
火災の話もおっしゃる通りでだからこそ江戸時代に火除地も設けられて行きました><
現在の東京に首都直下地震等から『復興』までも考えた遊水地(/池)や火除地に相当する機能が十分にあります?><
自ら復興できるような都市ではなければ他に救援できる都市が必要になるんですよ><