南海の複々線、いまいち存在感が薄い偏見を持ってるけど、戦前時点での延長を京阪と比べると、難波〜住吉公園5.7km、蒲生信号所〜守口4.6kmでむしろ南海の方が長かった。
なお、我らが東上線も和光市〜志木5.3kmで負けていない(何が)
この時期の複々線、自動閉そく式とはいえATSの担保がない状態での複線での高頻度運転は非現実的、という考えもあったんだろうか
思考の /dev/null
なお、我らが東上線も和光市〜志木5.3kmで負けていない(何が)