阪神ジェットカーが営業運転開始してから普通車がジェットカーに統一されるまでの間、どんな運用をしてたのか気になってる。
小型車が多数いた頃は加速度を抑えてたりしたんだろうか?

高加減速車が少数派の時点だと、所要時間の短縮による運用数の抑制とかはあんまり効果がなさそうな気がする。

@[email protected] 試作ジェットカーのみの運転だった頃のダイヤ改正は昭和34年3月が最後、量産ジェットカーの竣功は昭和34年10月から35年4月にかけてで、その年の9月ダイヤ改正で日中の普通電車がジェットカーのみになって運用3本減となっています。なので、期間としては1年ほどのことですね。

車両発達史に掲載された写真を見る限り、竣功後に試運転完了した車両から順次営業運転には入ったようなので、単純に旧型電車のダイヤに乗って走っていたと思われます。加速度を抑えたかは…分からないですが、ノッチ扱いで抑えられるのは直列全界磁までなのでまあ…

昭和35年度~38年度は朝夕に関しては混在していて、ただダイヤ上は別扱いとなっていたようです。運用も1,2運用程度とのことらしく

フォロー

@AncientCapital ありがとうございます。
考えてみれば、旧型車ベースのダイヤだとしても早めにノッチオフすればそれで済みそうですね。
電源設備がよほど貧弱でなければノッチ制限の必要はなさそうですし。

1年程度で日中の運用を全て賄えるほどジェットカーを導入できたのは、そもそもの必要本数がそれほど多くなかったということなんでしょうか...
線区車両の全面的な置き換えというと山手線の205->E231を思い出してしまうので、そのスピード感がちょっとイメージし難い部分はあります。(40年近く離れているケースを同列に考えるなと言われればそれまでですが)

@[email protected] ジェットカー置換前の日中普通運用が17本あり、第一次量産ジェットカーが完成した昭和35年度では量産30両+試作2両、当時は2連(19m車)なので16編成あります。

昭和35年9月ダイヤ改正の日中総置換で運用は13本なので、ジェットカーの所用数が少ないということでもあるというか…半年で30両製作するのが、一私鉄としては多いとも言いますか

@AncientCapital 交通技術誌の野田忠二郎氏の記事を読みましたら、ジェットカー1次導入に際しては3年分の車両新造予定額を1年で投入したとのことなので、やはり異例なのだとは思いました。

軽量車の導入でブレーキシューの消費量が急減したことも同記事で触れられてますが、その後急行車で空制オンリーの流れになったことを踏まえると興味深いです。
レジンシューの登場が大きかったということか...

ログインして会話に参加
:realtek:

思考の /dev/null