愛することと愛されることが定量的に交換可能なのだとしたら、やっぱり与えた分与えられることで幸福量が釣り合しその偏りが幸不幸の価値観に繋がるのだろうけど、愛することは幸福を与えること与えられることどちらにも当てはまるけど、愛されることは幸福を与えはするけど幸福を与える性質を主観的に観測出来ない、という不均衡がある気がします。
思考の /dev/null