(文を用いての議論に限ってのことだが)あなたとの議論において一度説明したことを何度も求めるの、過去ログを遡る努力を一切放棄して相手方に押しつけ、相手方を疲弊させようとしているように感じてしまう
確かに口頭の議論であればまさにそのとおりであるのだが、文による議論は口頭の議論と違って「双方の発言が一言一句違わず残っている」わけで、ijsとしてはあなたがその利点をドブにしてようとしているようにしか見受けられないんですよね
"相手方の意図を妄想で補って"
これすごく簡単な事で、はぐらかさずに全部説明すればいいんですよ><
説明がないから欠けてる部分を補うしかなくなって、結果的に不本意になるんですよ><
最近特に話題になってる人を例に挙げるのであれば、かわんご氏もその通りで「そんな事は言っていない」としか言わない>< 議論の場ではなく後になってから意図を言おうとする><
議論のテクニックとして「そんな事は言っていない」「それはすでに書いたから読み返せ」と言うのがあって、(フェアではない点はオレンジ的には使われても別にどうでもいいとして)フェアに議論するのであれば「そんな事は言っていない『こういう意味である』」「それはここにこう書いた(引用)」とすればいいんです><
議論が得意ではない人と議論していると、意図的かどうか知らないけどこの構図を使う人が多く居るけど、それは相手からしたら「こうであればこう」「じゃなくあれであればそれ」のように、推定される論拠とその否定で先回りする隙を与えてるようにしか見えない、つまり意見をつぶしやすい相手にしか見えないんですよ><
議論をしている際に誤解や理論の飛躍があった場合、過去ログを適切に掘り返して反論の材料にしろ、というのには同意するが、それの論拠がまあなんというか勝利宣言に近いもので小物感を感じてしまう(こなみ)
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/101022185751107792
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/101022226586471090
誤解や論理の飛躍があった場合、過去の発言を引用して叩き潰す (反論の材料にする) べきだとは思うわけですが、それをしないことがなぜ "「過去に書いたので自分で探して来い」というのは、相手に「過去ログを好きに切り刻んで自分に都合よく引用して来い」と言うのと同じで、相手に隙を見せるのと変わ" らないとなるのかが解らない。少なくとも本人はそのようなことを言ってない以上、そのように解釈されてもしかたがない、止まりであり、ここまで踏み込んだ表現ともなると確実に "妄想" であり、"勝利宣言" に過ぎなくなってしまう
バーチャルな存在を目指しているステルスマイナーな存在