mixiからTwitterへの“移行”はどのようなものだったかへの雑感
Twitterが不安定になったことで、「mixiからTwitterへの移り変わりがどうだったか」に言及しているノートを複数見かけました。
mixiはたしかに日本におけるSNSの黎明を象徴するサービス。
でもTwitterとは存在感は違いました。
mixiにあった機能はブログ+知り合いとのつながり。Facebookに近いものでした。売り文句は「離れた同級生と出会える同窓会のようなSNS」(うろ覚えだけど、内容はそう)。最初は招待制でしたし、ベースはリアルの知り合い。それもだんだん変わっていき、コミュニティでは見知らぬ人との交流を楽しむ人も出てきましたが。
一方、Twitterはまた新しいサービスで、「日常を垂れ流せるSNS」は初でした。アメリカ発で、最初期は日本語対応していませんでした。やがて日本語対応して、だんだん「おもしろいぞ」と使う人が増えていきました。
これは当時のわたしの個人的な感覚ですが、同じSNSといってもmixiとはずいぶん違うなーと感じました。
第一に、機能がシンプル。Twitterにあるのは「140字」のつぶやきだけ。
最近は聞かなくなりましたが、当時、Twitterを始めなかった層には、「そんなにつぶやくことなんてないよ」「知らない人がぶつぶつ言っていて、それでどうやってつながるの?」と言う人もたくさんいました。
第二は、初期はリアルの知り合いとのつながりを目的に使っている人は少数派だったこと。そこもmixiとの違いでした。
そして重要なのは、そういったSNSは「当時はほぼなかった」こと。だんだん普及して、みんな馴染んで、「日常を垂れ流す」ようになっていったのでした。
だから、mixiからTwitterへは、「代替サービスへの移行」というよりは、「新しいサービスへの移行」「時代の移り変わり」。
mixiを楽しんでいた層と、Twitterにハマった層は必ずしも重複しているわけではない。
mixiは、その時期に足跡機能廃止などの賛否両論の機能改変はありましたが、機能が不安定になって……ということもありませんでした。
それと、mixiはTwitterのようにインフラ化していませんでした。Twitterのように老いも若きも使っていたサービスとはちょっと違います。あくまで楽しみのためのサービスで、情報収集機能もサブ。
というわけで、個人的な感覚としては「mixiの衰退」と「Twitterの隆盛」は別の事象でつながってはいません。
Twitterの現状は、何もかもが初。交流はおろか、エンタメからニュース、災害情報まで流れるインフラ化したSNSが台頭したのも初なら、その機能が不安定になって、「これからどうしよう」となるのも初。
今回のように、「居場所を追われる、なくなる」風景自体は、ネットで似たような風景を見たことはあります。でもそれは局所的なものだったんですね。
Twitterがこれからどうなるのかわかりません。が、大げさにいうなら人類史上初の出来事に立ち会っているとも言えるのではないでしょうか。
今感じている戸惑いは、次のSNSが台頭することがあれば忘れてしまうはず。記録マニアの文字書きとしては、ぜひ記録しておいてほしいな……とも思ったりするのでありました。