文章書くの大好き
年を取って自分の親への個人的な怨嗟等を抜きにして考えてみると、
社会では女である事で得した事も損した事もあってトントンで、
社会は今は殆ど男女平等で、家庭こそが男尊女卑の最後の根城なのだと気付いた。
家庭と言っても配偶者は自ら選べるので焦点を当てるべきは親のみ。特に男尊女卑的な母親こそが問題なのだと思う。娘(女性)と同性である母親こそが娘の権利を代弁して庇護する能力と責任をより強く有するはず。
となると、社会の男女平等が既にほぼ実現されているのにこれ以上社会や経済界にそれを訴求するのは余り効果的でなない気がするし、専業主婦やパートとして浮世離れした昭和の主婦達に経済界等で行われる男女平等への啓蒙は届かない…。
女性の経済進出が進むにつれ、そういう女の敵たる母親は絶滅危惧種になっていく。直に家庭の不平等も消えていくはず。
けれど今の不平等が親に起因している以上、いつ生きているかよりもいつ生まれていつ育ったかにいつまでも目を向けてほしい。
特に、家庭と社会、啓蒙された家庭とそうでない家庭、移行期特有のそれらのギャップに苦しめられた平成生まれの子ども達が救われますように。
大成できずに平成にずっと囚われています。
双極性障害Ⅱ型
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